あれから4年。
迷子剣士野郎は、いまだに流れ着いてこない。
海風を存分に堪能した後、俺は朝の仕込みをするため階下に降りる。
小さな店にふさわしい小さな厨房。
顔を洗って歯を磨き、自分の朝食を作る前にざっと下ごしらえをすませる。
昨日の残りのベーグルにさっとからしバターを塗り、ハムとチーズ、トマトをはさんで、コーヒーを入れる。
厨房に立ったままでそれを食おうとしていると、勝手口のほうで何やらゴトンと音がした。
毎朝、この時間に野菜と魚が届くから、多分それだろうと、俺は何気なく勝手口を開ける。
右目。
から。
頬にかけて、ざっくりとはしる傷跡。
顔半分に傷跡。
「・・・ぉ・・・」
俺は目を見開いて言葉をなくした。
にやりと笑う左目。
「い・・・生きて・・・」
生きていると、信じていた。死んだなんて思っちゃいなかった。
だけど、信じているのと実際目の当たりにするのではだいぶ違う。
目の前の男は、確かに生きてそこにいた。
「生きて・・・。」
「ああ。おかげさんでな。」
昔とはどこか違う、不敵な笑みだった。
その日、レストランは臨時休業。
俺は腕をふるってご馳走を作り続けた。
二人しかいないのに、到底そんなに食べきれないのに。
わかってはいても、嬉しさで自分が止められなかった。
あの嵐のあと、あの断崖の孤島をはさんでちょうど反対側にある島に流れ着いたのだと言った。
4年、そこで暮らし、先週ようやくこの島に来る手段を得たのだと。
そんな事、どうでもよかった。
生きていた。
それだけで、よかった。
夜も更け、酒も深くなってきた頃、俺は言った。
「泊まってくか?」
「いや。ここから東に2キロ行ったあたりにある街に・・」
ちょっと言い淀んだ。
「?」
「あー。ああ、その街にな、女房と子供おいて来てんだ。今夜中に戻る約束になってるから。」
「女房と・・・子供?」
照れくさそうに頭をかいて、言い訳のように言葉を続ける。
「4年も島に住んでたんだ。情の移った女もいた。」
「・・・子供、いくつだ?」
「再来月でひとつになる娘だ。」
「そっ・・か。じゃあ、戻ってやらねえとな。」
「悪ぃな。」
ああ。
4年は、長い。
昔、想いを寄せた人間がいても、やっぱり近くにいて寄り添ってくれる人には勝てないって事だ。
それが困難な状況下であれば、あるほど。
誰も奴を責められねえし、責めるつもりもこれっぽっちもない。
祝福するだけだ。新しい命に。
4年。
短いと思っていたのは俺だけで、実際にはひどく長い時間だったのかもしれない。
「じゃあな、行くぞ。」
と立ち上がった奴に、俺は「レディにお土産だ。」と甘い焼き菓子を紙の袋につめて持たせた。
暗い闇の中を歩き出した背中に、俺は声をかける。
ドアのところから一歩も踏み出さずに、笑いながら。
「ちいさなレディの鼻は長いのか?」
振り向いたウソップは、「生憎母親似でな。かわいい娘だ。」と笑った。
あの嵐でなくした右目を歪めて。
また来ると、手を振りながら奴は坂を下りて暗闇に姿を消した。
それぞれが受けた怪我から立ち直り、自分たちの位置を掴み、そこがどこかを知り、助けを得て船をこの島に向けるまで4年かかったという。
自分たちの島だけで自足している人々に、世界の果てに等しい海の向こうに船を出させるのは生半可な苦労ではなかったらしい。そもそもカヌーに毛が生えたような漁船しかなく、仕方なくウソップは船を一から作る事からはじめなければならなかった。
かつての航海中に何度も皆にからかわれた通り、ウソップは船大工じゃない。
そして、島には大きな船を造るだけの技術を持った人間はいなかった。
4年、だ。
そうして、遭難した海域まで戻るのに4年。
そして、そこからナミさんが海流を読みながらこの島まで来たという。
あの海域には分岐するふたつの海流があり、ひとつがルフィたちを運び、もうひとつが俺をこの島へ運んだ。
その流れを憶えていて、自分たちと同じ島に流れ着かなかったのならもうひとつの海流に運ばれたのに違いないとあたりをつけて、海に出たという。
彼女でなければ出来ない神業だ。
さすがだ、ナミさん。
だけどそんな事したナミさんはひどく消耗して、いまは街の宿にいるのだという。ルフィは彼女についていると聞いて、ああ、そうかと妙に納得した。
そんなところにも、4年という月日が流れている。
「島で一番うまいレストランを教えてくれと言ったら、すぐにここにたどり着いた。」
ウソップはそう言って、手にしていたスプーンを振った。
嵐に沈んだGM号はもう、ない。
ルフィはウソップの作った新しい船で、また海に出るつもりだと言う。
「とりあえず次の島まではもつはずだ。その後、船を補強する船大工を見つけるなり、新しい船を手に入れるなりすればいい。」
俺の記憶にあるウソップより、かなり大人びた口調でそう言った。
ナミさんがあのときのログポースを持っているし、4年という月日も磁気のない島ではログに何の影響もなかったらしく、それをたよりに例の海域から航路に戻るつもりだと。
ナミさんとロビンちゃんは新しい船に乗って行く。
ルフィからの伝言でもあるが、と前置きしてウソップは「お前も来ないか。」と言った。
ウソップは女房子供を連れて行くのだと言う。ルフィは、止めるどころか喜んだと聞いて、そんなところは変わっていないのだなと苦笑する。
海賊船に赤ん坊。きっとまっすぐな目をした子供になる。
微笑ましすぎて、涙が出そうだ。