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朝、窓を開ければそこには視界いっぱいに海が広がる。
奇跡の海。
オールブルー。
海風は少し強くて、目を閉じれば額頬耳もとをなぞって髪をなぶる。

階下は小さなレストランになっている。
この島によそ者が来るなんてほとんどないから、住人相手のこじんまりとした店だ。
俺はここで、小さな小さな一軒家を借りた。
大きなレストランにするつもりはなかったから、小さな家で充分だった。

この島に船は来ない。
この海の存在自体が記録にも海図にもなく、この辺り一帯の海域にある島にはログをためるだけの磁力がない。
ログポースに記録されない島にどうやって船が来るというのだ。

まあいい。
それでも島に人はいて、小さな村落がいくつかあり、やや大きめの街がある。
島の中で自給自足する人々は、荒事に慣れた目から見たらまるで夢の国にまどろんでいるみたいで、俺みたいな海賊にでも優しくしてくれた。

ちょうど4年前、俺はこの海域に流れ着いた。
あの嵐の中、GM号は大破してクルーは海に投げ出された。
悪魔の実トリオはウソップ発明の密閉式ボートに積み込まれていたし、その中には俺がナミさんを押し込んでおいた。
ボートを出そうとしたときにゾロが「忘れもんだ!」とウソップを中に突っ込み、中の奴らの叫びを聞く前に俺が扉をしっかりと閉めて暗く荒れる海に蹴り出した。
中はきっと上も下もなく揺れてひどい有様だったろう。
ナミさんとロビンちゃんには悪い事をしてしまったけど、あれ以外に助かる術はなかった。
そしてボートはまだ試作品の段階で、人間は4人しか乗れない。
正確には5人を押し込めてしまったけれど、あのトナカイはぬいぐるみとしてカウントしておこう。
大丈夫だ。
あいつらは、大丈夫だ。
ナミさんがいるし保存食も手当たり次第放り込んだし、あの嵐さえやめばどこかの島にたどり着く。

一瞬、ほっとしたつかの間にめりめりと不吉な音が船全体に響いて、見上げた俺の視界いっぱいに折れたメインマストが迫ってきた。
「馬鹿野郎!」
ゾロの叫びと思いきり抱き飛ばされる衝撃が一度に襲ってきた。
がつん!と後頭部を甲板にしたたかに叩きつけられて、後は何もわからなくなった。
ゾロが必死に何か叫んでいたけれど、それさえあやふやに意識の底に沈んでいった。
マストがGM号の船体にのめり込む音だけが、いつまでも脳みその中に響いていた。

そして、気付いた時には俺はひとりで断崖の孤島に打ちあげられていた。
服は血でぐっしょりと濡れていた。脇腹に鈍い痛み。


狂うかと思った。
たぶん、少し狂っていた。


罵倒と悪態と呪う言葉と、それからみんなの名前。
呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで。

あんなに叫んだのは生まれてはじめてで、叫んでいる俺とは違う俺が、ああこれは狂ってるなと冷静に判断していた。
自分が狂っていると思った瞬間に、ジジイとゾロの名前ばかり悲鳴のように叫びはじめた。
やめろ。
くだらない事で体力を消耗するな。
もう一人の俺がげんなりとした顔でそうたしなめる。
けれどもう止まらなかった。
そのうち、ゾロの名前ばかり叫ぶようになった。

ゾロ。
どこにいる。
生きているか、クソ野郎。
俺はこのままここで死ぬのか。
死んでも仕方ない状況だけど、ここで死ぬのだけはいやだ。
最後までこの悪夢から逃げられないなんて、絶対にいやだ。
折角ジジイの片足を喰らってまで生き延びたのに。

いったいどれほどの時間叫び続けていたのか、わからなくなった。
このまま海に飛び込んじまったほうが幸せだぞと、見慣れた俺の顔をした悪魔が囁く。
もう一度あの生き地獄を味わいたいのか、と。
だけど俺は自分で死ぬなんて気はこれっぽっちもなくて、何度かその島で朝と昼と夜を迎えた。
もう何日そこにいたのかわからなくなった頃、脇腹を大きく抉っている傷が化膿しはじめる痛みに、うずくまったまま意識をなくした。

けれど俺は並はずれて頑丈な体と、強靱な運を持った男で。
うっすらと目を覚ましたとき、心配そうにのぞきこんでいる人間と目があった。
「ああよかった。気が付いたよ、ルーシ。」
「よかったよかった。スープは飲めるかい?」
木でできた天井と、俺をのぞき込む二人の人の良さそうな年輩の男女を代わる代わる見上げる。
「・・・」
口を開いても、声は出てこない。
「ああいいよ、喋らなくても。」
「どのぐらいあの島にいたんだろうね。可哀相に。」
ふんわりといい匂いがして、ベッドサイドの小さな木のテーブルの上にスープ皿とスプーンののったトレイが置かれた。
「さ。ゆっくりとだよ。」
手助けされて体を起こし、そおっと口に含まされたスープはこれまで飲んだどんなスープよりもうまかった。

あれから俺は、この島がオールブルーの中のひとつだという事を知った。
もっとも、すぐに知ったわけではなくて、体が元に戻るにつれて外を歩きまわって知った事だった。
「え?この魚かい?ここではありふれた魚だよ。」
そう言ってルーシおばさんが台所で捌く魚はイーストの魚だったりウエスト、はてはノースやサウスの魚だったりした。
小さな港に行ってみると、コックの俺の目からみればでたらめのようにいろんな種類の魚が水揚げされている。
『ここ・・・か・・・』
誰もこの海域をオールブルーなんて呼んでいなかった。
ここは、ここ。
昔から自分たちが住む海と島。
ただそれだけの事だった。
それでいいんだと、俺は静かに納得して笑った。

船はないのかと聞けば、魚を捕る程度の船はあるけれど、よその島に行く事はほとんどないのだとルーシおばさんは言った。
「海に出れば方向がわからなくなる。そんな危ない真似してまでよその島に行く必要はないんだよ。たいていのものは手に入るからね。」
そうじゃない。外の世界との交流はないのかと聞きたかった。
けれど俺はそれは聞かずに、そうか、と頷いた。

ここは、夢にまで見たオールブルー。奇跡の海。俺はたどり着いた。
『そうだよな。それ以外に何が必要だって・・・』

「どうしたんだい?」
ルーシおばさんが心配そうに聞いてきた。
俺は何でもないと首を横に振る。マダムを心配させるなんて、とんでもない。
「なんでもない事ぁないだろ。どうしたんだい。おばさんに話してごらん。」
ルーシおばさんの節くれ立った働き者の手が、俺の頬の涙を優しくぬぐってくれた。
本当に何でもないのだと、また首を振る。
嘘じゃなかった。
幼い頃から求めて求めて、焦がれたオールブルー以外、何が俺に必要だって言うんだ。
俺はいま、オールブルーにいるんだ。
なのに、どうして。
それでもルーシおばさんはいつまでも俺を抱いて、頭を撫でてくれていた。

ルガイヤ(ルーシおばさんの旦那だ)が漁に出たときに、あの孤島の上に鳥が弧を描いて飛んでいるのを見て、遭難者がいると気付いてくれたのだそうだ。
俺はどこまでも運がいい。
本当に、運がいい。
この島にはタバコがない。
それぐらいだ。運がなかったのは。

青い青い空。青い青い海。

大馬鹿剣豪。
おまえ、どこにいる。
助かったか?
それとも、死んだのか?

好きだと言葉にして告げもしないまま、俺たちはこうなった。
セックスは、一度だけした。
触り合って荒い息をして二人で抱き合って。ゾロがとんでもねぇもんを俺に入れようとしたから、仰天してあいつの顎を蹴り上げちまった。
なのに体を起こしたゾロは怒りもせずに、「イヤなのか?」と真剣な顔で聞いてきやがった。
「イヤなのか?」だと。あの卑怯者めが。
「ダメなのか?」とあいつが聞いてくれば、俺は「ダメだ」と答える事ができたんだ。
だけど「イヤなのか?」と聞かれれば、返事が出来るわけがない。「イヤ」じゃなかったんだよこの野郎。
正直、なんで俺が?と思う気持ちがなかったと言えば嘘になる。
だけどゾロのせっぱ詰まった顔と、筋肉が張りつめた体が汗にまみれてはあはあ言ってるのを見上げているうちに、それも悪くない、それどころか入れんならとっとと突っ込めクソマリモとか思っちまったんだよ畜生め。
顔を真っ赤にして口ごもっているうちに、ゾロは「イヤじゃなきゃ足開け。・・・頼む。」と体を押し転がすようにのしかかってきた。
「ぅ・・・」
自分のムスコを握られたその手の熱さ。
だけどゾロの雄を俺はどうしても受け入れる事ができず、なら俺が突っ込んでやるわ!俺のならサイズ、普通だからな!悪かったな普通サイズでよ!と逆ギレした俺にゾロは珍しく本気で慌てていた。

「・・・」
潤滑剤が必要だったんだよな、あれって。
桟橋の先端に座って海を眺めながら、ぼんやりと思う。
今頃そんな間抜けな事に気付いても遅すぎる。
マヌケで滑稽で、幸せでたまらなかった俺たちの恋愛。
互いに好きだと口にしたわけでもないのに、セックスだけはした事がある心底馬鹿な恋愛。
今でも続いていると信じてもいいだろうか。

二度も遭難から生還した俺だ。
ゾロもきっと生きている。
海流があるんだから、きっとこの島のちかくに流されているに違いないんだ。
この島に腰を据えて、あいつを待とうと決心した。



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