「見覚えのある場所・・・・でないことは確かだな。」
ゾロは崖っぷちに立っていた。
屋敷の玄関がわかりずらかったので、近道とばかりに(テラスになっている)デカイ窓から出てきたまでは
良かったのだが、道が行き止まりになってしまった。
いや、そもそも道ではなかった。
そこは切り立った崖に建てられている屋敷の側面で地面の幅は50cmもない、その先は標高500mの空だけという場所である。
行き止まりに見えて実はその先は道が開けているかもしれないと考えたゾロが、まだ先に進もうとした時
「きゃあああああああ!」
空から人間が降ってきた。
このままではゾロの近くを縦に通過して標高500mの高さを真っ逆さまである。
ゾロはその太い腕で人間の背中の服をむんずと掴み落下を止めた。
「ひっっっっ!」
ガクンッと止まった人間は小さい割に落下スピードの為かかなりの衝撃を与えたはずだが
ゾロにとってはどうということもない。
「え・・・・・わ、私、落ちなかったの?」
ゾロが成り行きで助けたのはまだ10才そこそこの少女だった。
「おう。たまたま俺が通りかかったんでな。」
確かに普通はあまり人が通りかかることはないだろう。
「お、おまえは?っきゃあ!」
ヒョオオと下から吹き上げる風に少女はここがまだ崖っぷちだとわかり青ざめた。
「は、早く私を安全な所まで運びなさい!!」
ゾロが背中を掴んでいる手を離せば今度こそこの標高500mを落下することになる。
身知らぬ相手に命を握られている状態で少女は高飛車に命令した。
だが、ナミのおかげで高飛車な女には慣れているゾロは全く頓着せずに答える。
「おお。望む所だ。で、悪いが道案内を頼めるか?」
「エエエエエエッ!?」
ガボーン。
何故こんな1本道(道と呼ぶのも憚られるが)で道案内が必要なのか。
だが、助かる為に必死な少女にはそんな突っ込みなどいれる余裕もなかった。
「ハアッハアッハアッ。な、なんて無礼なの!淑女を掴んだまま移動するなんて!
普通は両腕で抱えるのが当然でしょう!!」
大きなテラスに出てようやく地面に降ろしてもらうと少女は堪りかねたようにゾロを罵った。
ゾロが助けた少女はピンクの洋服を着た、キンキラしていない少女だった。
ツーテールの髪もピンクのリボンで結んでいる少女は顔を真っ赤にしてゾロにくいかかる。
「は?」
ついでに玄関までの道を聞こうかと思っていたゾロはいきなり罵られて目を丸くする。
「とんだ野蛮人ね!・・・・・・でもまあ助けてくれたことだし、今回は許してあげるわ。
ところでお前の名は?私の名はそうね。初対面の男性にフルネームは教えてあげないけどメスームさんと呼びなさい。」
ゾロは少女の高飛車ぶりに一気にゲンナリした。
「・・・・・・・。クソコックはどこだ。こりゃアイツの担当だろ。」
「おまえ!私は名を聞いてるのよ!それとも名乗れない程恥ずかしい名なの?」
少女の言葉とはいえ、さすがにムッとする。
「ロロノア・ゾロだ。ここまで運んだんだからもう用はないだろ。じゃあな。」
「そう。ゾロね。はい。握手。」
立ち去ろうとしていたゾロだが少女なりの礼のつもりなのかと仕方なく手を差し出した。
ピッタン。
握手した手が変な音を立てた。
「っなんだこりゃあ!」
慌てて手を戻しても少女の手が離れない。
ゾロに引っ張られて少女が身体ごとついてくる。
「ゾロ。私今、狙われているみたいなの。だからお前を特別に私のボディガードに任命してあげるわ。」
ゾロの額に血管が走り口を大きく開いたその時。
まるで見計らったように空から銃器や刃物を持った男達が降ってきた。
「ったく、なんなんだありゃ!」
ガゥンガゥンガゥン!ヒュンヒュンヒュン!
銃弾や刃物がゾロ達をめがけてどんどん飛んでくる。
ゾロと少女は少女の指示で屋敷を囲む雑木林の中を走り抜けながらそれをかいくぐる。
「だから言ったでしょ。お前は物覚えが悪いわね。あの者達は私を狙っているのよ。」
「〜〜〜ッ。とにかく助けて欲しけりゃこの手を解け!」
何を使ったのかゾロの右手と少女の右手が握手の形でくっついたままなのだ。
応戦するにも少女が邪魔になり、刀を抜く為に右手だけで少女を抱え上げようとすれば
どうしても少女の手をねじることになってしまう。
仕方なくゾロは左手も使って少女を胸に抱え、襲撃者の攻撃をかわしながら逃走するしかなかった。
「悪いけどこれは特殊なものを使わないと離れないわ。
つまりお前はもう私と一連託生よ。そこを左!」
ゾロは少女の指示した場所で勢いよく右に曲がる。
「反対よ馬鹿者ー!」
「ああ?違うのか。ったく、わかりずらいな。」
「なにがよ!逃げぬく策があったのにこれじゃムリじゃない、馬鹿者!
助かりたかったら言われた通りに逃げなさい!」
カッチーン。
「誰が逃げるか!」
「きゃあ?!」
急ブレーキをかけて振り返るとゾロは両手で抱えてた少女をブンと一回転させ背中におぶった。
そして空いた左手でスラリと刀を抜く。
「フン。ここまで来ればいいだろ。
おい、ずり落ちねえようにしっかり掴まっていろよ。」
屋敷から遠く離れた木々の中、見れば四方八方を囲まれている。
「お前、まさか闘うつもり?無理よこんな人数相手に。待ちなさい、私が」
少女に最期まで言わせずに襲撃者の一人が剣で狙いを定めて飛びかかってくる。
ガキィン!
ゾロの刀と剣の間に小さな火花が散る。
「一蓮托生なんだろ、クソガキ。
諦めろ、俺に逃げる気はねえ。」
ぶつかりあった刃を滑るように流し、相手が体勢を崩した一瞬を逃さずに斬る。
襲撃者も休む隙を与えずに、別の2人が前方空中から来るのと同時に後ろからマシンガンが放たれた。
「いやあ!後ろ!後ろから銃!」
「グエッ。首絞めるな!
怖いなら目つぶって縮こまってろ。そこは」
言いながらゾロは振り返り、あびせられる弾を斬り捨てながら
残像を残す速さで前進し銃を持つ数人の前に立つ。
キイン。
光が走ったのをゾロ達がいた地点に着地した者が見た時には、バタバタと銃を持つ者達が倒れていた。
「俺の中で一番安全な場所だ。」
振り返り凶悪に口端をあげるゾロに襲撃者達は戦慄した。
ポンポン。
「終わったぞ。」
どのくらい時間が経ったのか短かったのか長かったのかさえわからない。
ただ呆れたような剣士に背中を叩かれた時、初めて少女は自分が目を瞑っていたことに気づいた。
辺りを見渡せば木々の間に累々と倒れている襲撃者達がいた。
圧倒的に不利な戦闘だったというのに、自分達にはかすり傷ひとつない。
何より剣士は何事もなかったかのようにしがみついている少女をうかがっている。
「信じられないわ。」
少女は呆然と呟いた。
「おい、降ろすぞ。」
ゾロの言葉に少女はハッと我に返る。
「冗談じゃないわ!無神経な野蛮人ね。こんなゴロゴロ人間が転がっている所を淑女に歩かせる気なの?
マシな場所にでるまで降ろさないで。指示するから今度こそ言われた通りに歩きなさい。」
「・・・・・・テメエなあ。」
なんで巻き込まれた挙げ句にこんなナミにも勝るかもしれない高飛車なガキに唯々諾々と従わなければならないのか。
忘れていたムカツキが再燃する。
だが右手は繋がったままだし、少女はゾロの肩口の服を握り締めたまま強張って動かなくなってしまったらしい左手を
ゾロに悟られぬように必死ではがそうとしている。
ゾロは溜息をつき、仕方なく歩きだした。
「ねえお前。いえ、ゾロ、ゾロと言ったわね。
ゾロはすごく強いのね。
改めて自己紹介するわね。
わたしの名はラウノジカ・メスームよ。」
「名乗らねえんじゃなかったのか。」
少女の指示通り歩く途中でメスームは積極的にゾロに話しかけてきた。
「相手と場合によるものよ。
私の父様はねこの屋敷を、つまりグランドラインの裏世界でも3本の指に入るだろうと言われているカジノを経営するオーナーなの。
私はその父様の娘なのよ。」
少女は誇らしげに話し出す。
「・・・・・・。」
「さっきの奴らみたいなのにね、父様はしょっちゅう命を狙われてるの。
ウチのカジノはね、負けた金額をその場で払えない人はどんな人間だろうと命を頂くという厳しい所なのよ。
だから元はと言えば払えないほど負けた人が悪いのに逆恨みがすごく多いの。
さっきの奴らもマヌケでバカな家族を殺されたどこかのお金持ちの刺客かなにかじゃないかしら。
海軍もね、守って欲しかったら大事な情報を渡せとか、幹部の負け分はチャラにしろとかすごく卑怯なことを言うクズなんだって。」
「・・・・・・。」
「だから父様はいつもすごい人数のボディガードに囲まれて暮らしているの。
本当よ。10人以上のボディガードを連れて歩かなきゃいけないんだから。」
「・・・・・・。」
「ねえ、ゾロ。父様に雇われない?ゾロもカジノに来たお客様なんでしょう。
お金が欲しいんじゃなくて?
ゾロぐらいの強さがあればボディガード10人分以上に匹敵するわ。
父様はボディガードにすごく高いお給金を払っているのよ。
ゾロだったらそれを10人分は独り占め出来るわよ。
ねえ、悪い話じゃないでしょう。」
「断る。旅の途中だ。」
「なんで断るのよ!旅の途中って何が目的なの?
父様は商売上、裏世界の情報にはすごく詳しいのよ。
ゾロの目的が人でもモノでもすぐに調べられるし、なんだったら取り寄せる事だって出来るかもしれないわよ。」
「必要ない。」
必要なのは己の強さなのだから。
「でもゾロは剣士なんでしょ。
よくわからないけれど、剣士なんて職業は人の役に立ってこそのものじゃない。
私、弱い人って嫌いなの。
自分の身も守れない癖に他人を守ろうなんておこがましくて、側にいるのも嫌だわ。
その点、ゾロはすごく強くってかなり好印象なのよ私。
ねえゾロ、父様に」
「・・・・・・くどいぞ、餓鬼。」
なぜか不快な気分のままにゾロはメスームの言葉を遮った。
「ツッ!」
カッと顔を赤く染め 潤んだ瞳を俯けて、メスームは唇を噛み締める。
背後の様子にうんざりしながらゾロは訊ねた。
「さっきといいボディガードを引き連れる必要があるのはお前の方じゃねーのか。」
「私は!・・・・・私は正式には父様の子供じゃないってことになってるからそんなに狙われるわけじゃないわ。
だから弱いボディガードなんて皆解雇してやったのよ。
今日は先生が父様にどうしても会いたいっていうから仕方なく・・・・・・
しょうがないから先生と待ち合わせて父様の所に行く所なだけよ。」
「それがどうして空から降ってきやがったんだ。空で待ち合わせたでもしたか。」
「馬鹿ね。どうして大の大人がそんなありえない事をいうのかしら。
そんなわけないじゃない。
私は屋敷の屋上で先生と待ち合わせしてただけよ!
父様に会うには本当は沢山の人にお願いしなきゃダメなんだけど、私は特別に色々な場所にある隠し扉を知ってるのよ。
すごいでしょう、父様の娘だから特別にそんなトップシークレットを知ってるのよ。
でも先生が私のことで父様を叱らなきゃいけないって言ってきかないから、内緒で先生と屋上で待ち合わせしてたの。
そしたら屋上で待ってる時に誰かに突き落とされたのよ。」
「・・・・・・。」
「あのね。先生は先生になったばかりの新米の先生でね。
この私が見惚れちゃうくらい綺麗で優しいのにすっごくドジで泣き虫なのよ。
男の子達が照れ隠しで意地悪してるだけなのは私が見ればすぐにわかるのに、いちいち間に受けてオロオロしたり泣いちゃうの。
クラスのリーダーの私がフォローしてあげないとダメなのよ。
でもね相談をすると一緒に悩んでくれて、泣いてる子がいると自分まで一緒に泣き始めちゃうくらい優しい人なの。」
今日はメスームの誕生日だった。
この島にはカジノを営んでいる家は無数にあり、学校にもその子供達が沢山通ってきている。
カジノの家の子供達はきまって誕生日には友達を自分の家に誘う。
親が我が子の誕生日だと経営するカジノで大々的にイベントを行うからだ。
カジノ好きの島民はカジノの家の子供の誕生日を暗記して大判振る舞いのその日を楽しみにしている程だった。
その子供は誕生日に行き交う人におめでとうと言われることさえあり、他の子達はそれをよく羨んでいた。
だが、同じカジノの家の子でもメスームだけは違った。
そもそも父親がメスームが学校に上がる前にメスームの家や戸籍を自らと全く関係のないものにすり替えていた。
父親のカジノだけは娘の誕生日にもなんのイベントも行わないし、娘がいるという事実さえ消されている。
だが何かに執着した者は人が必死に隠そうとしたものをどこかから嗅ぎつけてくるものだ。
幾度か狙われたメスームもボディガードが密着した生活を小さい頃から過ごしていた。
一月前、最悪の事態が起きた。
今までの輩は誘拐しようとしてきたのに、その時はハッキリと命を狙われたのだ。
そしてメスームを守ってボディガードの一人が死ぬこととなった。
何年もメスームを守り兄のように思ってきた人間が。
父親が新しいボディガードを送ってきた時、メスームは初めて父親の意に逆らってボディガード達を解雇すると命令したのだった。
キリキリとどこかが痛いままだった、そんな時
「Happy Birthday!明日は誕生日ね。一日早いけど誕生日おめでとう。あなたと出会えて嬉しいわ。」
と先生に言われた。
盛り上がった滴が決壊し、嗚咽を抑えることが出来なかった。
黙って聞いてくれた先生にメスームは泣きじゃくりながら思いを訴えた。
自分が命を狙われて優しかったボディガードが死んでしまったと。
死にたくないけれど人が自分の犠牲になって死ぬのがツライのだと。
優しかった人を犠牲にして生き残った自分なんかに出会えて嬉しいと本当に先生は思ってくれるのか。
めったに会えない父様は父様の娘として誘拐されて利用されそうになる私を本当は邪魔だと思ってるんじゃないだろうか。
だから自分の娘は死んだことにしたんじゃないだろうか。
先生はメスームを抱き締めて一緒に泣いてくれた。
死んだ人のことはとても悲しいけれど、貴方が生きてるのが嬉しいと、大好きだと何度も言ってくれた。
お父様は娘の貴方が狙われる程重要な仕事をしているんでしょう。
きっと貴方が無事に幸せに生きていることがお父様の幸せなのよ。
だからお父様も寂しいのを我慢して貴方を守る為に距離をとっているんじゃないかしら。
でも明日は貴方の誕生日ですもの。
お父様に連絡を取る方法は知ってる?
もし会えるなら、先生が直接明日だけはメスームさんと一緒にいなさいってお父様を叱ってあげるわ。
メスームさんは大好きなお父様ともっと沢山一緒にいたいんですって、何故それがわからないのって怒ってあげるわ。
出来るなら明日は一緒にメスームさんのお父様に会いに行きましょう。
優しい先生はそこまで言ってくれた。
メスームは本当は父様にもっと会いたかったことまで指摘されて、優しい先生にすがることにした。
「ありがとう先生。一緒に父様に会いに行ってくれますか。
私の父様はあの中央山の奥にある裏カジノのオーナーなんです。」
「・・・・・・・・・ぇ?」
嬉しさでさらに泣きじゃくってしまったメスームは先生の表情が凍りついたことに気づかなかった。
「あ、そこよ!そこで降ろしなさい。」
ゾロから見れば似たような木々に囲まれた中で突然メスームが声を上げた。
自然しかない森の中は全てが見覚えがあるような、ないようなで区別がつかずさっぱりわからない。
ソコってドコだ。
焦れたメスームが足をバタつかせて飛び降りると握手のままの手でゾロを引っぱり、一つの大木の前に立った。
地面に木の葉で埋もれていたダイアルを幾度か回すと機械音がし、木の根の間にポッカリとした穴が開いた。
そこからは梯子が下へと伸びていた。
「オイ、いい加減この手を外せ。」
確かに手を外さなければ梯子を降りることは難しいだろう。
メスームは困ってゾロを見極めようとジッと見つめる。
手を離した途端に無関係だと突き放されて去ってしまったりしないだろうか?
「・・・・・・私のボディガードにもやっぱりなってくれないの?」
メスームの言葉にゾロは溜息をつく。
「くどい。だが、お前を無事に父親に引き渡すまでならつきあってやる。」
さすがに実際に命を狙われている少女をここで放り出す気にはなれなかった。
「ありがとうゾロ、助かるわ。」
メスームはパッと顔を輝かせ、ポケットから小さな袋状の包みを取り出すと封を開けた。
中から出てきた白い粉をサラサラと外れない手に振りかけると
いきなり手の中でモゾモゾと何かが動いてスポンと手が離れた。
離れた手の間からは小さなカタツムリがポタンと落ちた。
「こんなもんでくっついてたのか。」
「ゾロは田舎者なのね。
これは『スッポンつむり』という子供のおもちゃだけど、かなりポピュラーなものよ。」
「知らん。」
メスームによると『スッポンつむり』はその殻がピタピタとどこにでもくっつく粘着質で、
特にビタンと押し潰すような衝撃を受けると身を守る為に強烈な接着剤のように殻に触れている全てを吸着してしまうらしい。
それは一説では何tという重さのものまで『スッポンつむり』一つでぶら下げることが出来るという。
ただ塩を振りかけると簡単に外れてしまうので実用性があまりなく、
今では子供のおもちゃとしてゲームセンターの景品になるようなありふれたものだという。
「でもね、使い方次第ではこれを使って敵を撃退することが出来るのよ。
・・・・・死んじゃったボディガードが教えてくれたの。」
「・・・・・。」
2人は開いた入口から地下へ潜り、いくつかの隠し扉を抜けてオーナー室までの道を歩いた。
裏カジノはその敷地どころか山全体に縦横無尽に地下通路を張り巡らせているらしい。
「・・・・・先生にはこの道のことは教えたのか?」
「教えたわよ。先生はおっちょこちょいだから待ち合わせ場所を勘違いしちゃった前科があるのよ。
私が案内するのが一番だけど、念の為教えてあげたの。
でも・・・・先生は確かにドジだけどゾロみたいに方向音痴だったのかしら?
もしそうならあらかじめ道を教えても全然意味ないんじゃないかしら。」
メスームはふと変な想像をしてまだ出会えていない先生を心配しはじめた。
だが、オーナー室の前までくると普段はキチンと閉まっている扉がかすかに開き、会いたかった父親の怒鳴る声が聞こえてきた。
「ふざけるな!メスームの無事な姿を確認するのが先だ!!
それまでワシは何一つ言う通りにはせんぞ!」
「そんなことを言っていいのかしら。
メスームさんは生きていたとしても一刻を争うような状態かもしれないのよ?
その意味がわかるかしら?」
「貴様ァッ!」
「父様?え?・・・・・・・・先生?」
扉を開くと部屋の中には父親と先生が異様な雰囲気で睨みあっていた。
「メスーム!無事だったのか!?」
「なっ!?どうして生きてるの!?」
2人の鬼気迫った叫びにメスームはビクンと硬直した。
「え。え?せ、先生、父様に何をしてるの?」
先生は父親の首におおぶりのナイフを突きつけていた。
信じられない光景に状況を理解することが出来なかった。
先生はいつもの綺麗で優しい姿がウソのように、ギラついた目をしていた。
「ふ、ふふふアハハハハ!動かないで!
メスームさん、少しでも動いたら貴方の大事なお父様が死ぬことになるわよ。
ねえメスームさん?お父様にお願いしてくれるかしら?
このカジノから帰ってこない人間のリストとその行方を記したものを出しなさいって。
そこには私の大事な恋人がいるはずなのよ。」
「メスーム!そんな話など聞く必要はない!
お前が無事ならいい、早く逃げなさい!!」
「冗談じゃないわ!
ねえ、メスームさん、貴方は優しい子よね。
いつも先生のお手伝いをしてくれたもの。
ねえお願い。早くお父様に頼みなさい!」
先生の、女の、姿は鬼気迫り優しい口調は鳥肌が立つほど狂気を孕んでいた。
「やめて!先生、父様を殺さないで。
父様お願い!私、父様に死んでほしくない!
お願いだから言う通りにして!」
「ふふ、そう死んでほしくないの?
貴方は素直で優しくて可哀想な子ね。
貴方のお父様がどれだけの人間に恨まれているか知らないんでしょう?
私は昨日まで可愛かった貴方がこの男の子供だと知って、憎くて憎くて突き落としてやった程なのよ。
貴方のお父様に悲しみを味あわせる為だけにね。
それほど恨んでいる人間が山ほどいるわ。」
「・・・・・・・ぇ?」
「貴方が教えてくれなかったせいよ。
どうして貴方などが誕生したのをおめでとうと言ってしまったのかしら?
そんな事さえ悔やむほど憎たらしいわ。
せっかく突き落としてあっさり死なせてあげようとしたのに、生きているなんて忌々しくてしょうがないわ。
私の大切な人を殺した男の娘など死んで当然よ!
他の人間が犠牲になる前にさっさと死んでしまえばいいのよ!」
メスームの頬に静かに涙が流れた。
『Happy Birthday!明日は誕生日ね。一日早いけど誕生日おめでとう。あなたと出会えて嬉しいわ。』
不安だった。
本当の自分を知ってもそう思ってくれるのか。
そんな風に思ってくれる人間は誰もいないんじゃないかと怖かった。
怖れていたことは現実だった。
「馬鹿な!娘に何の関係がある!?
メスーム!早く逃げなさい!」
その時、ワラワラと先程ゾロとメスームを襲った者達と同じ服を着た人間が部屋に飛び込んできた。
「ふふふふふふふふ。
残念だったわね。
このカジノの隠し扉の情報と引き換えに、私の仇討ちを手伝ってくれる人がいたのよ。」
30人以上の襲撃者に囲まれた中、メスームの隣りにいたゾロがスラリと刀を抜いた。
「メスーム、約束は父親にお前を無事に引き渡すまでだったな。」
雑魚を相手にゾロは3刀流の構えをとった。
「そ、そんな。なんなのよ、その男はぁ!こっちへ来るなぁああ!」
たった一人の剣士が襲撃者の命を奪いつくし、屍が累々と倒れる中4人の人間だけが立っていた。
女は焦燥で突きつけたナイフをオーナーの首へ更にくい込ませた。
首からツプリと血が流れる。
「やめてぇ!ゾロ、お願い父様を助けて!」
メスームが叫んだ。
だが女は恐慌状態で迂闊に近づけなかった。
「おい、あの不思議カタツムリはまだ持っているか?」
ゾロは小声でメスームに訊ねた。
「なんでなのよ!
悪いのはあなた達親子じゃない!
そうよ、あの人は正義感に溢れた人だったわ。
そうよ、私にあの人を返してよ!」
女にはかつて恋人がいた。
ギャンブルが大好きな男に周囲は眉をひそめるばかりだったが、女は男を愛してた。
ある日男は女に山奥にある非道なカジノへ行くと言った。
そこは沢山の人間が消える暗い噂の絶えない危険なカジノだと言う。
だがそのカジノを探り消えた人間達を救出して、その事を海軍へ通報すればすごい手柄になると男は夢のようなことを言った。
これをキッカケに自分の人生を変えるから待っててくれと女に言って出かけていった。
周囲の予想通り男は帰ってこなかった。
女だけが男の言葉を信じて待っていた。
いつしか女は男が海軍のような正義の男だったと思い込み、いつ帰ってきてもいいように男に相応しい聖女のような女性になろうとするようになった。
男への想いは誰にも気づかれずに静かに膨らんでいった。
「先生、父様を殺すくらいなら私を殺しなさいよ。」
女が男を思いだしているとメスームの方から近づいて来た。
悪人には私と同じ思いを味あわせてやる。
女のナイフの刃先が方向を変えた。
その時。
いつの間にか後ろに回りこんでいた剣士が女を掴み、窓ガラスへ勢いよく押しつけた。
何を使ったのかそのまま背中や両手が窓に張り付いて剥がれない。
「クソォオオオオオオオ!」
女が咆吼を上げた。
無事を確認しあいヒシと抱き締めあっていた親子が女に近づいてくる。
「先生・・・・・。」
メスームは何を言えばいいのかわからなかった。
父親が口を開く。
「よかったら君の恋人の名を教えてくれるかね。
死んでいるかもしれないが生きておるかもしれん。
調べてみようじゃないか。」
「えっ、父様本当?」
「ああ。もともとワシはギャンブルが大嫌いでね。
ギャンブルで負けた人間のせいでその身内が困る場面を見るのも虫酸が走るほど嫌いだ。
ワシはそんな人間に家に帰ることさえ許す気はない。
だからワシのカジノで消えた人間とは、即ち支払うことが出来んほど負けた人間のことだ。
そんなクズには今までの名も人生も捨てさせることにしておる。
名と過去を失って弱くなる人間もいれば強くなる人間もおる。
だが、ワシにとってクズのような人間達でもクズだけを集めてみるとその中からリーダーの素質を表す者や有能な者が出てくるものだ。
ワシはそんな人間を部下にしてこのカジノを経営しているのだよ。
もちろんワシの判断で様々な死に方で死んだ者も大勢いるから決して威張れることなどしていないし恨みを持つ者も多い。
だがワシはワシに恥じることだけはしていないつもりだ。
部下には3年経ったあと、それでも会いたい者に一人だけなら消息を知らせることも許しておる。
だから望みは薄いが君の恋人とやらを調べてみようじゃないか。」
オーナーの言葉に女の目が見開き歪む。
首をフルフルと振りながらブツブツと呟いていた。
「ウソ・・・・・ウソよ。あの人は、あの人は素晴らしい人だったのよ!
私はもう何年も待っていたのよ!
アハハハハハ!私があの人の言葉よりあなたみたいな人の言葉を信じると思っているの!
正義感の強かったあの人は悪人に殺されたのよ。
そうよ、私はあの人に会える方法を知っているわ。
私はあの人に会いにいくのよ!
ねえ、メスームさん?
私からあの人を奪ったあなた達親子が・・・・大嫌いよ。」
狂気だけを瞳に映した女は奥歯をガリッと噛んだ。
「ヤバイ!下がれ!」
一瞬早くゾロが反応し、親子を抱えて重厚な机の後ろへ飛んだ。
ドォン!
爆発が発生し、部屋の窓ガラス全てが粉々に散った。
吹きすさぶ風が荒らす部屋の中は爆発で壊された残骸が散乱し、死体が溢れ見たこともない戦場のような光景だった。
メスームは夕焼けに染まり始めた空がこんなに禍々しく見えたのは初めてだった。
「そんな・・・・・・・先生。」
ススで汚れた顔をポッカリと空いた場所に向け、メスームは呟いた。
ゾロ達3人はいざという時の為に銃弾を浴びてもビクともしないという机に守られて爆風を逃れた。
女は死体さえ残さずに死んだ。
メスームは顔を流れる涙が悲しさなのか悔しさなのか、それとも別のものなのか判断が出来なかった。
「すまない、メスーム。ワシのせいでお前をここまで巻き込んでしまった。
お前が本当に無事でよかった。メスーム。
すまん。ワシの娘でさえなければお前はこんなツライ思いをすることもなかったはずだ。」
父親が立ちつくすメスームを後ろから抱き締めた。
メスームは悔恨に満ちた父親の言葉に今以上に父親が遠く離れてしまう予感を感じる。
父親が自分を守ろうと遠く離れるのが正しいことなのか、父親の行っていることが間違ったことなのか
先生が自分に突き刺した言葉をどう受け止めればいいのか、なにもかもがわからなかった。
「ゾロ。」
メスームは立ち去ろうとしていた剣士を振り向かずに呼び止めた。
だが約束を果たし自分を守りきってくれた剣士にメスームは辛辣な言葉を投げつけた。
「ねえ!?ゾロは思ったことないの!?
剣士さんなんでしょ?
そんなに強くてさっきみたいに沢山の人間を殺したんじゃないの?!
思わないの!?
沢山の死んじゃう命や犠牲が自分1人が生きてるだけで増えるって!
自分のせいで大切な人を失って悲しむ人を沢山作りだしちゃうんだよ!
どうやったら自分の命にそれだけの価値があるって思えるのかなあ!
使命とか信念があるからなの?
怖くないわけ?
どこかで恨まれてたり、憎まれてたりするかもしれないんだよ。
大好きなひとが自分のせいで死んじゃうかもしれないよ。
ある日突然大好きな人に豹変されたりするかもしれないよ。
そんなんじゃ大好きな人と仲良く生きていくことなんて一生出来ないよ!
そんな血だらけの手じゃ美味しくご飯が食べられないんだから!!!」
泣きながら肩で息をしてメスームは言葉を沢山投げつけた。
メスームは卑怯で残酷なひどい言葉だと思った。
だが今はそんな言葉を自分自身に向けるのは嫌だった。
「メスーム!なんてことを言うんだ、助けてくれた人に対して!
君、本当に申し訳ない。金で感謝を表すのは失礼かもしれんが、是非な」
「いや、かまわねえ。
それよりカジノの営業が止まったりするのか?」
ゾロはオーナーの言葉を遮って思い出したことを確認した。
今頃オーナーの異変を知った部下達が続々と駆けつけてくる。
「いや、それはしない。
たぶんあの女性が仕込んでいた爆薬は、協力者という人間の差し金だろう。
その者を逆に探る為にも悪いがこれぐらいで営業停止には出来ん。」
「そうか。じゃあな。」
「えっ?いや、君待ってくれ!」
「ゾロ!」
泣きはらした目でメスームが申し訳なさそうにゾロを呼び止めた。
ゾロも真っ直ぐな視線をメスームに返した。
「・・・・・ゾロは何があるから強いの。」
最期に一つだけ訊ねた。
「野望がある。
俺の道だ、どんなツケも俺が払う。
それに・・・・・・・悪いがクソコックの作るメシはいつも美味え。」
メスームはズルイと思った。
父様の選んだ人生も、ゾロの選んだ人生も誰かに受け入れてもらうのを望めない程に過酷な道だ。
なのにゾロにはゾロを受け入れて側にいてくれる大切な人間がいるんじゃないのか。
よく知らないがゾロの言葉にそんな気がした。
それに父様にだってそんな人間は必要なはずだ。
「ありがとう。」
剣士の姿はもう見えなくなったのに今頃メスームは心から呟いた。